ヒストリー&レガシー

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西高11・12期の話を聞く座談会
テーマは「輔仁会事務局のいまむかし」

前列左から、勝木、徳井、横山、清水、前川、角本、前に濱岡
後列左から、久保田、上野、岡島(敬称略)

2023年07月20日 午前11時より
輔仁会館にて

[出席者]
 ・上野  了(西高11期)2007~2012年度会長
 ・久保田保久(西高12期)2013~2018年度副会長、2001~2012年度資料保存委員長
 ・前川 直子(西高26期、副会長)2008~2022年度事務局員
 ・勝木 明彦(西高25期)2019~2022年度副会長・財務委員長、2018年度財務委員長
 ・清水  郁(西高34期、事務局員)
 ・横山 晶子(西高34期、財務副委員長、事務局員)
 ・岡島  敬(西高31期、資料保存委員会)
 ・濱岡  純(中西印刷株式会社)

[ファシリテーター]
 ・角本 大弘(西高23期、『輔仁会だより』編集長)

[オブザーバー(広報委員会)]
 ・徳井 孝生(西高35期、広報委員長)
 ・菅野 利枝(西高41期、広報委員)
 ・鶴見 裕子(西高33期、広報委員)

徳井

今期、輔仁会広報委員長を仰せつかっております35期の徳井と申します。改めましてよろしくお願いいたします。

 

今回は、『輔仁会だより』の記事としまして「輔仁会事務局のいまむかし」というテーマで、ぜひにという角本編集長の思いがあり、皆さまにご参集いただきました。いままであまり知られていないような事務局の裏話ですとか苦労話を書き留めて記録しておくことがこれからも大事かなと思いますので、皆さま何卒ご協力のほどよろしくお願いいたします。

 

角本さんのアイディアで、昼ご飯を食べながらざっくばらんにやろうよということで、ささやかなお弁当を用意しましたので、どうぞつまみながらやっていただければなというふうに思います。あとは角本編集長に全部お任せいたします。よろしくお願いします。

(一同拍手)

角本

ということで、ざっくばらんな会議にしたいと思います。

 

基本的に、先輩や僕たち65、70歳近い人たちの記憶が定かなうちに事務局の歴史を、新しく事務局員になった清水さんと横山さんのおふたりに伝える、そしてそれをまた次の世代に伝えてもらえるような座談会となります。『輔仁会だより』にはそんなにいっぱい載せられないので、詳しくはホームページの方にアップしてもらって、そこで読んでもらおうと考えています。覚えていることはすべてここで、特に久保田さんと上野さん、吐き出していってください。よろしくお願いします。

事務局の歴史を振り返る 

事務局を立ち上げたのは1期生。目的は同窓生の名簿作り

角本

ということで早速、事務局の成り立ちから入っていきたいなと思います。例えば……、事務局っていつできたんですか? 木造校舎の時代から事務局みたいなのがあったんですかね?

上野

これは久保田くんでないとわからない。
僕は輔仁会活動では新しいほうなので。

角本

さっき車の中で久保田さんが、レンガ校舎の時にもうすでに事務局あったんだよって話してくれて。

久保田

(全員に向かって)レンガ校舎にいた人間って誰だ?

角本

(挙手して)はい。レンガ校舎。

(出席者の大半が挙手) 

久保田

じゃあ事務局あったの知ってる?

(数名「知らないです」)

久保田

やっぱりみんな知らないんだ。ここに校舎があるじゃない? こっち側が入口かな。

角本

職員玄関。

久保田

裏側のこの角に3畳ぐらいの部屋があって、ここが事務局だったんだよな。そこに斉藤さん(註:陽子、西高1期)がひとりでいて。

 

というのはね、なぜ事務局ができたかっていうと、1期の斉藤さんと同期の渡部睦子さんが二中から移って、二高、西高になって、事務局というか要するに名簿作りなんだけど、これを同窓会としてやらなきゃダメだということで事務局を立ち上げた。だから、斉藤さんに聞いたほうが一番いいと思うんだよ。

角本

斉藤さんには後日、電話インタビューというかたちで前川さんとか僕とか徳井くんとかでやろうかなと思ってます。

久保田

その時に聞いたほうが、当のご本人だから一番わかると思う。

ワープロでコツコツまとめた同窓名簿。そのころに『輔仁会だより』創刊

久保田

名簿を作るために、あのころはワープロだよな。パソコンなんかないんだから。それで渡部さんが一生懸命やっていた。その後、後継者を誰にするかとなった時に、一緒にやっていた遠藤(註:一雄、西高12期)っていうのが具合が悪くてダメで、誰か連れてこいって言ったら同期の瀬下(註:征士、西高12期)に白羽の矢が。瀬下がそういう関係にちょっと詳しいということもあって、名簿作りの補助として瀬下を配置して。「させられた」ってあいつはいつも言ってて、そこからあいつの苦労が始まったことは事実なんだけどね。事務局っていうのは基本的には名簿作りだよな、最初は。

角本

その時代には当然『輔仁会だより』はないですよね?

久保田

いや、あったよ。『輔仁会だより』っていうのは、また別の話題だから。いまは広報で出してるけど、えっと、あの当時は誰だっけ?

前川

松宮さん(註:和男、西高3期)?

久保田

松宮さん、3期だよな。その前は?

前川

その前は……。

久保田

その前に広報で……。松宮さんが最初だと思ったなぁ。

岡島

『輔仁会だより』の創刊号っていうのが昭和56年(1981年)の12月。

角本

昭和56年?

岡島

私が高校を卒業した年なんです。で、その時、広報委員長が渡部睦子さんになってた。

久保田

そういうことで、睦子さんって本当に貢献した人なんだよな。

角本

その昭和56年くらいから事務局ができたってこと?

久保田

いや、その前からできてるはずだよ、確か。何年からできたっていわれると私も定かじゃないけれど。斎藤さんに聞いたほうがいい。

さまざまな人たちが集まった事務局。総務委員会の一部門から独自の進化

久保田

それで、呼びかけをしようっていうんで、うん。そうだ、睦子さんが最初だな。その後が3期の松宮さんだね、確か。

上野

その後は何期?

前川

8期の鈴木吾郎さん?

久保田

それはあとですね。松宮さんがやって、内山さん(註:昌子、西高7期)がやって、その後に広報が鈴木吾郎、そして瀬下。

角本

なるほどね。瀬下さんって本当に古いんだね。

久保田

古い古い。

角本

瀬下さんは56年? 昭和56年っていったら……。

岡島

『輔仁会だより』の責任者は昭和58年で松宮さんの名前だったしね。

久保田

うん、それは広報だから。そのちょっと前に睦子さんが亡くなったと思うんだよ。

角本

で、今の体制の事務局ができたのは、この輔仁会館ができてから?

久保田

レンガ校舎の後の、いまの校舎の時にたぶん、それも入口の近くにあったような気がするな。誰も知らねえんだな、やっぱり。

角本

レンガ校舎から新校舎に移って……

上野

ここができたのは高校の創立80周年。

前川

1996年。

上野

いま111年だから30年前ぐらいに輔仁会館を同窓会として作った。

角本

そうですね。

上野

その時に正式に事務局っていう、こういう感じになったんだけど、そのころの事務局員っていうのは……淑子ちゃん(註:江良、11期)もちょこちょこ来てたし。

角本

佐々木さん(註:紀子、西高5期)もいたんでしょ?

上野

佐々木さんもいた。

角本

佐々木さんは事務局?

前川

総務委員長。

上野

事務局っていうポジションは明確ではなかったんだよな。要するに、事務局っていうより総務の一部局みたいに、ただお手伝いっていう感じじゃなかった? 違う? 事務局っていう存在じゃなくて、輔仁会としての一部というか……

久保田

規約の中には総務委員会の中の事務局ってあるから、総務委員会の中の事務局。

上野

そうだよね、うん。

久保田

ところが実際のところは事務局が独立してたわけですよ。

上野

そうそう。

久保田

全く別のっていうかさ、みんなが事務局っていうのを役員会とは別の存在にしていたんだよな。

1985年に当番期制導入、初回は7期生。世話役としてさらに重要になる事務局

角本

僕が知ってるのは、いつもここに斉藤さんと佐々木さんのお姉さんふたりがいて、なんか一生懸命やっていて、「角ちゃん」とか言われながら何かを一生懸命手伝わされた記憶がありますよ。

勝木

何かあれば教えてもらいにきて、その時はやっぱり斉藤さんと佐々木さん。当時、輔仁会全体は当番期に冷たかったから(笑)、何か聞きにくるってのがここしかなかった。

角本

繋がってなかったんだね、当番期とね。

上野

現実には8期生からかな、その当番期制っていうのができたのは。

角本

8期からですか。

上野

それまでは輔仁会の執行部が基本的に運営していて、で、それじゃあ、ということで、7期か8期……(しばし考えて)7期の時に当番期っていう制度を作った。それはね、たぶん南高がそんな感じの当番期制みたいなのをやってて、まあ模倣したっていうわけじゃないけれども、そういう格好にして当番期っていういわゆる総会・懇親会を運営するっていう仕組みを作り始めてた。

 

で、それまでは、基本的に執行部が主導っていう格好だったので、これはやっぱり渡部さんや佐々木さんやそういう人たちがどうやって人を集めるか、その時代の結束力をどうまとめるかっていうことを考えられたんだと思ってる。

角本

本当の草創期ですね。

上野

だからまあ、そういう意味では、いま勝木くんが言ったように、何かやる時は必ず事務局がいいことも悪いことも含めて繋ぎ役というか。結局、執行部と当番期って接点はそんなに密接なものではなくて、その間に事務局が入っていろんな橋を渡して。

 

また当初はどうしても執行部の考え方っていうのがあるから、当番期のやりたいこととかお金の問題とかいろんなことについて調整をしなきゃならん。それを事務局を介して執行部に上げたりとかっていうことである程度整ってきたっていうのはあるね。僕ら11期は会場も決められなかったしね。

角本

あ、総会の会場?

上野

そうそう。でも、かなり自由にやらせてもらって。その当時は700人とか800人ぐらいは集まってた。

角本

当時の1学年がそのぐらいいた?

上野

450人だったね、僕らの期は。さっき(昭和)56年っていったけど、僕ら36年に卒業してるから、レンガ校舎は全く関係ないんだよね。で、卒業式も市民会館だったっていうこともあって、ここの思い出ってほとんどゼロ。卒業してここに来たことは1回もなくて、同窓会がからんで初めて来たようもので。

角本

前の校舎はあそこですよね、西20丁目の。

上野

そうそう、いまの龍谷高校があるところ。渡部さんとか内山さんとかはそういう時代の人たち。

専用スペースを持つ同窓会事務局は希少。時代は変われど重要なのは名簿管理

上野

同窓会の基盤っていうのはやっぱり事務局というか。いろいろ話を聞いたら、事務局がこういう部屋を持ってやってるところは東西南北では西高だけ。北高があるっていったかな?

角本

北高はできましたよね。南はどうだっけ?

上野

会長のところに集まるっていうことみたいなので、常駐しながらやるこういう格好は西高が結構長く続いて現在に至ってるんじゃないかな。

角本

前川さんが引き継いいだのはいつぐらいだっけ?

前川

2010年くらいだったかな。100周年の少し前です。で、途中、転勤で網走に行って抜けたので……

角本

ゆきみちゃん(註:渡部、西高27期)がいた時ね。

勝木

まるっきり抜けてたわけじゃないけどね。いろんなことやってたから。

前川

発送作業のことをしていたので。ここに常駐というか、ひとりでやるようになったのが、ちょうど100周年の2012年。

勝木

2012年って100周年?

前川

そうですよね? 輔仁会(の発足100周年)が2017年ですもんね。

久保田

だいぶん古い話になってきたな(笑)。いま、上ちゃん(=上野さん)が言ったようにね、昭和35年(1960年)の7月の9日にね、俺らの向こうの学校、木造校舎、二中校舎っていわれてる、そこが焼けたわけだよ。全焼で、誰が火つけたかわかんないんだけど。それで焼けちゃって、そして上ちゃんたちもそうなんだけど、教室がないから体育館をベニヤ板で仕切って教室作って、とにかくやろうというところで、卒業しちゃってるわけだよ。俺らも次の年に卒業してるんだけど。そこにはもう事務局も何もないわけだよ。それでこっちに移行して、斉藤さんがやって……。

 

事務局って、渡部さんが強い信念でやってきた名簿作成をベースにしてるわけよ。だから、名簿作成を勝木くんも、事務局も、総務もやってるわけ。要するにこの名簿作成を基本に事務局が作られてるわけ。

旧二中校舎

旧二中校舎

 昭和35年(1960年)7月9日

先輩の情熱を受け継ぎシステム発展。『輔仁会だより』発送で住所も更新

上野

ここにないかな。最後に発刊された名簿……

角本

80年代に出たやつでしょ? グリーンの表紙の。

前川

その前に茶色いのがあるんです。

岡島

3回くらい作りましたね。

上野

たぶん名簿にこだわるのは、資料保存委員会がいろいろやってくれてるけれど、実は校舎が焼けてあらゆるベーシックなものがほとんど消失したから。職員室が一番やられたので、僕いつも自分は優秀だったと言ってるんだけど、でも成績簿がないわけよ(笑)。優秀な成績だけれど証拠はない、ということで……(笑)。冗談。

 

結局そういうようなことで自己申告をせざるを得ないぐらい資料がなくなってしまった。先輩たちも自分たちの過去の資料も全てなくなるような状況だったということがあって、名簿っていうのはやっぱりそういう……。

ただ、こういうのはいま個人情報でいろいろ問題になっているだけれども、これを確か……80周年に作ってるんです。(グリーンの表紙の名簿を持って)これだけ厚いわけよね。いかに事務局の人たちがこの名簿作りに時間をかけたか。先ほど言ったように立ち上げのときはワープロで、パソコンじゃなくてっていうところから始めて。東西南北とは違って、そういうバックグラウンドがあった上でこういうものができてるということで、やっぱり事務局の存在価値っていうのは非常に大きかったんだろうなと。

角本

『輔仁会だより』の発送によって、どんどん更新していくわけですね。

勝木

僕も名簿管理者になってずっと名簿を管理してきたんですけど、ワープロでできたデータをアクセスに乗せ替えてベースになる名簿システムを作ったのが瀬下さんで、とにかくそのころから名簿名簿名簿とにかく名簿をきっちりやっていくんだってのが事務局と名簿管理者の仕事だったから。名簿がなければ輔仁会は成り立たない、連絡取れない、そういう感じでやってきた。で、電話とかでいろいろな問い合わせを受けてもリアルタイムにパソコンを見ながら管理できるようにするっていうシステムに乗せ替えたのが僕の代ですね。だから、昔はとにかくずっと名簿だったんだけど、これからはウェブ、ホームページ中心にやっていくので、黙ってても名簿管理できるようになってくるんだろうと思うんです。

上野

そういう意味での事務局っていうのは、いまのスタイルとは全く違って。いまももちろん名簿の改編だとかいろいろ手続きがあるにしても、この膨大な資料がまだできてない時にこのベーシックなものを作ってきたということからすれば、ものすごいハードワークだったんだろうなと。そこに関わってきた人たちのエネルギーというか、情熱というか、同窓会に対する思いの強さが、ある意味この厚い本に結集されて、結晶になっているということなんだろうなというふうに思いますね。

名簿管理は郵送未達との戦い。次世代のスカウト部門も兼ねて

久保田

前川くんぐらいの時か、その前からなんだけど、住所が違うと発送しても『輔仁会だより』が戻ってくるのね。転勤しちゃったとか、卒業して東京行っちゃったとかね。そういう戻ってくるのをなんとかなくそうというのが一番大変だったと思う。そうだよな?

前川

はい。

久保田

で、その率をいかに減らすかという、これは大変な作業だったと思うよ。だいぶん減ったよな?

勝木

700ぐらい戻ってきてた。

角本

そんなに戻ってきたんだ?

勝木

デジタル化して、整理して、毎年毎年減ってきて、いまはだいたい同じ線に収束している。

前川

リアルタイムでより早く名簿情報の変更ができるようになってきたので、戻る率が少なくなったんです。不明になる方が少なくなったというよりは、タイムラグがデジタル化によってどんどん短くなったので、発送までに変更があったものが早く変更できるようになったということですね。

角本

前川氏との間に江良さんがいたじゃないですか。

久保田

江良さんは財務の副委員長。事務局ではなかった。ただあのころはみんなまとまってお手伝いしてたから。

勝木

通帳を預かってくれてたんだよね。

角本

そうだよね。そのころは斉藤さんと佐々木さんと江良さんの3人がいつもいたんですね。なんだかんだ用事を言い付けられてね(笑)。それで業務を覚えていったという記憶があるんですよ。いま、江良さんはあまり出てこれない状況だし、佐々木さんは亡くなっちゃったし、斉藤さんだけは本当に生き証人になって。

上野

ほとんど一緒。内山さんとか渡部さんとかあの時代の人たちから手伝わされてる。

久保田

そう。

上野

なんか知らないうちになんか役に立ってるとかっていう感じで、(江良)淑子ちゃんはやっていた。

角本

僕も当番期からですよ、こうやって輔仁会に関わってきたのは。それまでは全く「何それ」って感じでいたので。

上野

だから結局さっき言ったように、当番期システムができて当番期の人が事務局と接点を持たざるを得ないっていう部分から、事務局に出入りする人は輔仁会の執行部の仕組みを少しずつ、なんとなくわかっていく。また、顔を見られたら最後(笑)っていうところがあるでしょ?

角本

確かに、なんかこう一本釣りみたいもんですよね。こいつら何か頼んだらやってくれそうだなって。僕もたぶん一本釣りされた。

上野

そういう意味で、事務局にはスカウト部長がいると(笑)。上と下とつないでいく非常に大きなパイプ役だろうなというふうに思います。

角本

一番、会のことをわかってますよね。事務局のメンバーがどの役員よりもね。だから前川さんがいま一番すごいでしょ? おかじー(=岡島さん)は歴史のこと詳しいし。だから、うまく引き継いできてますよね、そういう意味ではね

輔仁会のハンコは歴代会長の個人印、銀行口座も個人名義で区分に曖昧さ

岡島

ちなみに『輔仁会だより』の縮刷版っていうのを輔仁会100年の時にまとめて、その後ろに年表形式にしたものがあるんですけれども、当番期が最初に始まったのは西高7期、昭和60年。その年を見るとね、道見さん(註:由貴、西高28期)が事務局を退任したってある。道見さんは西高の事務職員だったんですよ。西高にいるから、片手間的に同窓会事務局の対応もやっていたんでしょうね。いま東京輔仁会の会長になりましたけど。

徳井

28期で職員なんですか?

角本

道見さんが職員でいたの?

岡島

そうそう。おそらく徳井くんの卒業アルバムを見ると職員として載ってるかも。

角本

徳井くんは何期?

徳井

35です。

岡島

道見さんが事務局をやってたころはまだ当番期がなかったんですね。そのあと事務局に専用電話ができて斉藤陽子さんが就任したというのが1988年、昭和63年ですね

久保田

斉藤さんはものすごい長かったよね。

岡島

この専用電話の番号はいまの番号と同じです。それを引き継いでいると思います。

角本

さすが、おかじーだね。

前川

その電話の名義が二中の小澤会長(註:保知、二中21期)だったんです。何年か前に名義変更に大変な苦労を……。

角本

大変だったもんね。

前川

電話債権のある当時なので。

角本

(事務局のふたりに)知らないしょ? 電話債権。

横山・清水

わかります。

前川

遺族の方の相続人の許可が名義変更に必要で。

上野

輔仁会だとあれなんで、法人格がある西高会が引き継ぐっていう格好にして。そうすると代表者が変わってもあまり関係ない。まあ、いまは債権自体が関係ないけどね。まあ、そういうような、なんか昔から基本的には個人がハンコ押すっていう……。

角本

通帳とかね。

上野

団体というよりも、会長になったらなんか全部そこに代表印ではなくて会長印みたいな、そういう格好になっちゃってる。特に銀行はこれから通帳の名義変更するのも大変な時代なんだけれども、その名義人っていう捉え方が組織の長と個人とでなんか曖昧なまんまで。まあ、こういう組織、ボランティア団体はどこでもそんな感じになるんだろうと。電話債権のような財産に絡むことがあるとなかなか難しいんじゃないかな。

数年間で二中→二高→西高と変化。男子校の二中同窓は男女共学に抵抗感

角本

いずれにしても、1期の渡部さんとか斉藤さんぐらいから事務局という感じのものが出来上ったってことですよね。

上野

そうそう。もちろん二中の人たちも関わって。正直な話、母校愛の情熱レベルは二中の人たちがもっと強い。で、ここの狭間だよね。二中、二高、西高と制度が変わって、二中の人たちにとっては名前が変わるわけだから、ある意味、母校がなくなる感じだよね。当然それは東西南北どこでもおんなじなんだけど。確か同窓会も2つに分かれるという話があったんだよね。

久保田

そう、昭和24年かな、戦争終わって6・3・3制になって男女共学になった時に、二中の人たちは、二高はいいんだけど男女共学になった西高の1期2期の人たちと一緒になりたくない、二中は男子高だから、と。

角本

なるほどね。

久保田

男女共学だから一緒にしたくないって論争が、めちゃくちゃあったらしい。結局のところ1年2年ぐらいそんな論争があって、輔仁会の最初の会長にはとりあえず学校の先生がなってくれ、と。だけど、だんだんとやっぱり生徒会だから生徒会でやりましょうよという話になって、初代会長は確か1期の、あの人……

岡島

西高1期ですか? 草光さん(註:昭、西高1期)?

久保田

ああ、草光さん!

角本

すごいね。よく出てくるね。さすがだ。

久保田

俺は忘れてるから(笑)。そこから流れてくる、輔仁会の。

岡島

3年間ぐらい「札幌西高同窓会」っていうのが輔仁会とは別に存在していて、その後、輔仁会と合併したような感じです。

角本

なるほどね。いや~、いいタイミングで、おかじーが仕事なくてよかったね。1年間ぐらいずっとここで見ててくれたからね。

勝木

仕事してたらできないよな。

久保田

「いい人材を見つけたな」って言ってよ(笑)。

角本

だからタイミングなんだな~と思って、人っていうのは。

物事を進めるための議論が熱い世代。学制変動期は学校の枠を超えて仲良し

上野

それだけ時代の変遷っていうのがね。我々は(昭和)17年だから戦中生まれなわけだよ。当然二中の人たちは、資料保存の時にも出てくるみたいに、召集された人たちもいるし、学徒出陣をしなきゃならない人たちもいたし、そういう混沌とした時に青春時代を送っている人たちなわけだよね。それが戦後、我々は小学校だけれども、駐留軍っていうのが札幌市内にいてね。要するに日本は支配下じゃない? 返還になる前の沖縄と同じような。その当時、27年ぐらいまでは駐留軍が日本を統治していた時代だから、もちろん返還はされていたけど、安定するまでということで札幌市内はもうアメリカ兵だらけだった。

角本

札幌市内?

上野

札幌市内、もちろん真駒内の駐屯地も。テレビ塔のあるところには豊平館。いまは中島公園にあるけど、もともとはあそこにあった。そこが司令部で、グランドホテルはGHQで、大通公園なんてほとんど米兵が歩いているようなもん。治安もそれなりに悪かった。そういう時代背景があっての、いま言った二中の人たちのものの捉え方であって。戦後西高になって、西高も北高も南高も東高も実は1期生って強制的に男女共学にさせられたわけ。

角本

強制的にね。

上野

男女共学だってGHQが言ったことによって、いままで北高は札幌高女、東高は市立。それを分割して、そのエリアで二中一中というものとくっつけたわけだよ。いままで一緒に友達だったのが急に別れざるを得なくなったのが、その時代の1期生。だから、1期生と2期生では似た状況でも少しずつ違っていて。

 

で、今度は逆に戦後の民主主義っていうことで、そういう意味で思想的な分裂が出てくる。やっぱり2期3期っていうのは反戦の上に立ったものの考え方、その当時は共産党とか民青とかがある部分で学生たちの共感を得る時代でもあった。ただ単に同窓会はどうのこうのとかっていうこともさることながら、歴史的な時代背景っていうのが実はいろんなところに論争を巻き起こす。だから、その当時の1期生、2期生、3期生の時の生徒会ってすごかったらしい。それはもう半端でないぐらいぶつかり合ったと。物事をやるにしても議論がものすごく多い時代だった。確か、渡してるよな、3期生の荒又さん(註:重雄、西高3期)が書いたの、あれ読んだら……

久保田

いま上ちゃんが言ったように、1期2期っていうのは二中二高の人たちだったよ。3期からが新生西高生。そこまではいま言ったように各地から入ってきてるわけだよ、区が分かれてね。

岡島

1期とか2期の人の内訳を見ると、もともと二中あるいは二高に入った人は大体半分くらいで、あとの半分はいまでいう南とか東とか北から強制的に転校させられた人が半分くらい。

上野

うちの姉は北高1期生なんだ。うちの姉から、まあ、亡くなっちゃったけど、話を聞くと、そういう絡みがあるから1期生って意外と東西南北で仲いいのが多い。

角本

繋がってますよね。

上野

すごい仲いい。逆に。

なにかと繋がる一中二中・一高二高。東西南北の同窓で合同ゴルフ大会も

角本

一高とか一中とかなんか繋がってましたよね。

上野

そうそう、意外とそういう要素が。

濱岡

東西南北の行事は最初のころ結構ありましたよね。

岡島

昔は合同の同期会があって、写真も残ってます。東西南北の合同の同窓会で。

久保田

もともと仲間だから。

角本

確かにね。繋がりやすいよね。

岡島

1期2期の人が平成の頭くらいまでそういうご縁で。

前川

斉藤さんがよくここで北高の、高女の皆さんと同窓会の打ち合わせしてましたね。

上野

そういう意味でたぶんお互いの高校の成り立ちはそういうことであっても、友達関係であることに全然変わりはない。だから、中学が一緒だと高校に入ってもずっと、南高に行こうが北高に行こうが西高に行こうが中学時代の友達だっていう、そんな感覚がその当時あったんだろうと。逆に言えば、そのことがお互いの高校の情報交換の場であったり、たぶんこういう事務局のあり方だとか、当番制をどうするのかとか、いろんなことの土台になった部分はあるんだろうなというふうには思うけどね。

角本

東西南北のゴルフ大会、やってますよね。あの言い出しっぺが1期の人たちですよね。1期の人たちがもう1回集まりたいということで上野さんのところに最初声がかかって、こっちに話がきて、東西南北のゴルフ大会が復活したって感じですよね。

2022年7月<北・東・西・南>同窓会交流ゴルフ大会

上野

たぶん根っこの部分はそういうことで始まってるんだけれども、やっぱりそういうかたちでつながる交流の場がだんだんなくなっていて。それでもまあ、俺だって、まだ南高の友達だとか北高の友達だとか、中学時代一緒のやつはしょっちゅう交流するけれど、なんか組織と組織でやることはなくなってきてる。まあ、この前からやってるゴルフは唯一いま東西南北でやってるイベント的なことなんだろうね。

角本

その前に、南高と西高のゴルフ大会が何回かあったね。飲み屋さん絡みでね。

上野

うん。あそこに飲みに行ってて、そこに常連の南高のやつがいて、「そういうのやりませんか」っていうとこから始まったんだよ。

角本

あの時、西高のゴルフ大会は始まってましたよね。

上野

やってた、やってた。

角本

その話で盛り上がっていたから、「何、お前たちばっかり」って感じになって。

上野

コミュニケーションのあり方のベースがどこにあるかといえば、いま言ったような情報をどうやって共有するかっていう部分。それが飲み屋だろうがどこであろうが。事務局もそのベースになる。

 

いまなら情報をネットとかホームページとかで共有して、それらをどういうふうにつなげていくかってするけど、我々の時代は人海作戦。もうとにかく至るところに飲みに行って、いろいろとコミュニケーションとって、そこで話したら仕事の話にもなるし、いま言ったような有志がちょっとやるっていうことにもなる。いまはSNSとかの時代なので、そういう発信のあり方っていうのは大きく変わっている。たぶん我々には文字で表せない人間的な雰囲気だとかっていうことでつながりやすいけど、SNSで文字を書いたからってどうなっていくのか。そこら辺どう肉付けするかが今後すごい重要なことかもしれない。

かつての引き継ぎは対面での巻き込み型。ネット時代のこれからはどうなるのか

角本

ここに来て、対面で先輩たちと会うってことがとても大事だったということがわかるね。特に、ズルい顔していくとね、先輩たちから「お前、何ズルい顔して来てるんだ」って雰囲気が出てくるわけですよ、怖いんですよ。クーさん(=久保田さん)って人も怖かったけど(笑)。

久保田

話変わるけどさ、斉藤さんがやってた当時は、いま上ちゃんが言ったアナログ的な発想だったけど、前川くんになってからものすごい仕事の量が増えてるわけよ、俺が見ててね。かつてはなかったパソコンってのをどうやって覚えるかって。瀬下がさ、もうここに寝泊まりしてるぐらいつきっきりで、それで前川くんが一生懸命頑張って覚えてくれてるくれて、その辺から名簿をうまく管理できるようになった。まあ、勝木くんもその後フォローしてくれてるけど、基本的にはまず名簿だよな。これが一番やっぱり大きいよ。

角本

ある意味、いいタイミングで勝木くんがいたり、前川さんがいたり、おかじーがいてくれてる。たぶん僕じゃできなかったので、タイミングがみんなうまく……

久保田

いや、あんた総務委員長だったでしょ?

角本

いやいやいや。私はお任せの委員長だったから。

久保田

もう人に投げりゃいいんだよ。

上野

まあ、こう考えると結構アナログ時代はものすごい人のエネルギーっていうか、渡部さんにしても誰にしても、そこに入り込んで関わったか関わらされたかわからんけれど、すごい真面目にエネルギーを注入してたっていうイメージがあるね。

久保田

その注入なんだけど、勝木くんがいつも「西高ラブ」って言うじゃない? 結局ね、全くボランティアなわけよ。やりたくてやってるっていうさ。もうやらされてるんじゃなくて、何かしら入り込まされる。だから、「なんか、やんなきゃいけないのかな」とかね。「これ、やれよ」って言われたら違うのかもしれないけど、そうなっちゃう。で、だんだんコミュニケーションの輪みたいなものが広がって、先輩や後輩を引っ張ってきてね。事務局もだんだん人の輪を作るようになってきちゃったんだな。

角本

で、人の交代ってあるでしょ? みんなね、一本釣り。「次の人を自分で探してからやめてください」っていう言い方。たぶん先輩からも言われてたから、前川さんにも「誰か後釜見つけてからやめてください」って感じで。

上野

ただ今後の問題として、事務局のその位置付けが変わらざるを得なくなってくるのは間違いない。基本的な根っこにあることは同じなんだけれども、さっき俺が言ったように時代はものすごく変化してってるわけね。人の捉え方、考え方、それから情報のあり方もどんどん変わってきてる。

 

そうすると、俺は変な意味で言ってしまったけれど、あの当時の出来上がりの時は、個人っていうか、その人のエネルギーでものすごくやりこんでた。それをやればやるほど、次の人が同じエネルギーを持ってその後を引き継げるのかっていう問題になる。そこはやっぱりアナログ的なエネルギーの使い方ではなくて、デジタル化している時代の中でそういう人材とどうつながっていくかを考えないと。我々はどうしても、昔のスパルタ教育じゃないけど「お前こうやったらこうやれ」っていう感じになる。やっぱりもうそういうのは時代からかなりずれてきてる。

新しい時代の感性で、継続可能な、一個人に頼り過ぎない仕組み作りを

上野

今後の事務局の人たちも、じゃあ、そういう感性と新しい時代の感性とどう折り合いをつけながらつないでいくのか。それはやっぱり継続するための基本をきちっとベースに置きながら、でもそこに新しい世代を取り込む仕組みをイメージしていかないと。あんまり個人に頼りすぎる仕組みというのは、ある時から少しずつずらしていかないと難しい。ただ、生き証人というのは死ねばいなくなるけど、生きてる間は使えばいいわけ。

角本

よろしくお願いします。

上野

いや。俺はもうわからんけども。まあ、そういう組織の在り方として、今後はやっぱり少し事務局としては……。

久保田

あんまり難しいこと言わないで(笑)。

上野

だって、事務局についてだろ? 昔とこれからの。

久保田

「そんなことまでしなきゃなんないんだよ」とか思われるようなことは言っちゃいけない(笑)。

上野

彼女らがやりやすいようにどうやってっていうのをトピックに……。

久保田

(笑)

角本

でもさ、事務局って相手のことを思っていないとできないじゃないですか。

上野

それもさ、やっぱり時代によるよね。コミュニケーションってのはさ、いっつもそういう前提なんだよ。俺は楽しみよ。あんまり細かいことは言いたくないし、清水さんとかさいろんな人を見てるから、俺。

久保田

嫌な先輩がいたらすぐ言ってくれ。俺すぐ飛んでくるから。

角本

もしふたりでどうしたらいいかわからない時は、この先輩たちに声をかけて。「留守番して」って(笑)。

久保田

無理だな。俺は無理だよ。

上野

俺は大丈夫だよ(笑)。

事務局を通して輔仁会の今後を考える

超人・前川さんに依存しすぎた過去。過重な負担を反省して継続可能に

角本

これから将来事務局がどうなっていくのかっていう話は、組織の在り方に関係するということで……。輔仁会の委員会はいま総務、財務、広報、会館、資料保存の5つ。

勝木

特別委員会が普通の委員会になって残ったのって資料保存だけですよね。

久保田

DX委員会もまだ特別か?

前川

いままだ特別です。

岡島

外すには総会で……

勝木

っていうか、そういうDX委員会がいま単独で委員会になるのが正しいのか、総務と含めてやっていくのが正しいのかって……

前川

広報と一緒っていう流れに……

勝木

この後の話になると思うんですけど、デジタル事務局を目指していくとなったら、そのデジタル事務局は誰もいなくてもいい事務局じゃなくて、外からアクセスしたらいつでも365日24時間大概のことができるんだよっていう事務局になる。それを作っていくには、やっぱり広報とかその辺のところが一体になっていかないとたぶんできないと思う。いま、登録がなかなか増えないじゃないですか。増えないってことは、何かしたいっていう人が結局そこにいないわけだから。

徳井

あまり価値を見出してないってことですね。

勝木

それから比べれば、ここに顔を出す人のほうが多い。

徳井

行けば何かあるのがわかる。

勝木

だからそれをどうやっていくか。新しくやってくれてる34期の彼女たちも、いま前川が担ってきたような、あんなハードなものを全部引き継いでいくなんてやってられないから。で、やりすぎてきたのを元に戻そうとしてるからね。

久保田

(前川さんに)ふたりは会議に出てるの?

前川

出ることもあります。いまはあまり必要ないっていうか、一応総務委員長の戸巻さん(註:美樹、西高34期)と3人で事務局って感じで、戸巻さんがいろんなことを連絡していて。例えば、事務局は10時から15時までで、私みたいにずーっと残って夜までっていうことはしていないです。

勝木

それもさ、前川だから当たり前にやってくれてたけど、そういうのは大変だよ。

前川

大変でした(笑)。いまはSNSとか連絡取る方法はいくらでもあるので。

久保田

いや、だから俺が言うのはね、前川くんは会議にずっと出てただだろ。そういうふうにやっていれば、(役員などの)言っていることがわかるわけですよ。

前川

確かに。

久保田

わからない時に教えるんじゃなくて、わかるようにふたりも入れてとけばさ。

前川

LINEとかいろんな方法で話の内容とかはほぼ伝わるっていうか……。結局、事務局をどうするかっていうのは、戸巻さんが一番根っこで、実際に業務をするのはおふたりだから。いろんなところの統括は戸巻さんがしてらっしゃって、戸巻さんが役員会と事務局の橋渡しをするって感じ。時間配分を考えて、いろんなところに全部振り分けて、分担してやってもらわないと。

勝木

どうしても事務局じゃなきゃダメだっていうことを引き継いでもらって。

久保田

さっき壮大な話になりそうで俺は上ちゃんを止めたのは、このふたりに「自分たちにできるんだろうか?」って思われたら困るから。

上野

いや、俺は逆のことを言ってたんだよ。逆にいままで抱えてたことがあまりにも一極集中的になっていて、じゃあ次の人材を作るときにそれをつなげられるのかっていったら、つなげられない可能性がある。いままでは個人のエネルギーで組織を守ってたけども、これからはそんなんではいかないよ。だからその辺をどうやっていまの時代にあった仕組みと人材の配置にできるか考えるっていうのがこれからの課題。

 

俺はもう80代だからようわからん。あなたたちが自分たちで作んないと。上から先輩からこう言われたからこういうかたちを作りましたとやってたら、口で本質はこうだよと言えても、実際には何も変わらんということになってしまうんだよね。だから、我々は意見だけ。考えて作り上げるのはもうやっぱり若い世代、いまの執行部。

角本

そこには西高の校風もありますよね。僕もそうだったし、久保田さんとか「まぁ、やればぁ」って感覚でしょ? 何かあった時には助けに来てくれて、でもその時も言う通りにしろということではなくて「任せるよ」って感じで。あれはたぶん校風なんだろうなって思ってる。

久保田 いやぁ、校風かどうかわからないけど……。
角本 違います?

久保田

いや、角ちゃんが言うようにな、これからは全部もう総合的な話になってくるだろうからさ。もう事務局がどうだとかではない話になってくるんだよ。

実態に合わせて組織を変える。次の担い手のために分担と効率化を

上野

組織上どうしてもね、規約にこう書いてあるからこうなる。だけど、これだって規約を絶対的に、まあ日本の憲法と同じように、変えられないというわけにはいかない時代が必ず来るわけだよね。肝心なところは変えてもらっちゃ困るけれども、運用に関わるようなところはもうちょっと横断的にやるべきだろう。でも、それは規約を変えることが重点なのか、実態が変わっているから規約もこういうふうにしようと考えるのかっていうところで、アプローチの仕方はいろいろあるかもしれない。

勝木

基本は実態だと思うんです。

上野

うん、俺もそう思う。

勝木

何年間も前川が誰かに引き継がなきゃいけないということで、「誰がやってくれるだろう」って、でもやってくれそうな人は全然思い当たらず、このまま行ったら死ぬまでやらなきゃいけないんじゃないかって(笑)、真面目にそんなところだった。なのに、突然ふたりもお手伝いしてくださった。

 

でも、いままでやってたことをやるんだったら絶対続かないので、そこのところをうま~く集約していって、すっごく楽だからこれぐらいだったらしばらく続けてもいい、また後輩にもやってもらえるよねっていうところまで直していかないとね。だから、やっぱり実態なんですよね。引き継ぐ相手ができなかったからなんで。

上野

どういうアプローチでやってもいいけれども、基本は個人に思いっきりウエイトがかぶってるものを1回整理してデジタル化をどう進めるか、今度はそこに人がどういうふうにつながっていくかということ。その前に、いま言った運用の実態がどういうふうに変化しているのかを見て、効率化できるように切るものは切って残すものは残すっていう交通整理をしていかないと、我々が概念だけで言ってることが必ずしもいいとはいえないわけで。

角本

えらいことにも手を付けていくのかな。

久保田

いままでのことはもうね……。

上野

はい、まったくその通りだと思います。あとは勝木くんたちと若い連中でどうするかって話していただいたほうがいい。

勝木

もうすでに若くない(笑)。

角本

私はもっと若くないので。いずれにしてもこうね、引き継ぐことが一番大事だってことと、過去の歴史を知ってもらうことも大事。なので、やっぱり上野さんが話したら止めれないじゃないですか(笑)。

上野

いや、俺はさ、喋り出したら5時間でも6時間でも喋ってんだからさ。お前ら知ってるでしょ?

勝木

止める方法はない。

(一同笑)

システムのデジタル化は時代の趨勢。ネットを介した投稿の扱いはまだ途上

角本

中西印刷さんの話をまだ聞いてないね。

濱岡

僕は斉藤さんとは2、3年くらい関わりました。その前に2社くらいありましたよね? うちが関わるようになって、それで最初の住所管理のシステム作りから入っていったんです。あの時はまだうちにシステムエンジニアがいたので、アクセスのシステムとかでも何万……、2万5,000人以上ですよね、データベース洗うと。4万人くらい?

勝木

名前だけ残ってる人だとね。その数が毎年増えるからね。

角本

連絡する先は増えていく。

濱岡

データベースの元というのはここと別にクラウドにバックアップして。

勝木

まあ、クラウドっていうとカッコいいけど。いまはね、使う時にここにスタンドアローンでデータ持ってこなきゃいけないシステム。そっちに置いておいて。ホームページにもデータが出るんならいいよ。あんまり細かいことはやりたくないけど。将来的にはホームページの方がメインになる。早い処理できるPCじゃなくてダメだっていうけれど、シンクライアントにすればいい。名簿をウェブに載せて、ここの作業はシンクライアントでするようになれば、一番ラクで速いんだから。作り直して、そしてシステムの外から入って、入れてって、それがシステム管理者の仕事。

濱岡

いまホームページ上に『ホジダヨ』用のひとこと投稿フォームみたいなのがあるんですか。

前川

いや、ホームページにはないです。いままで通り。ただ、メールで事務局のほうにくださる方もいます。

勝木

いまある会員ページの中だったら、訳のわからない投稿ってそう来ないと思うからね。新システムができてからたいして経ってないのと、運営にはまだ不備もあるから。投稿を削除したら削除したってわかっちゃうし、まだちょっと危険かな。もうちょっと安定したら……

濱岡

投稿ができても公開せず、っていうのは?

前川

投稿フォームにも迷惑メールっぽいものが入ってきてると思います、はい。ですから、公開のページではNG。

濱岡

絶対双方向にしないほうがいいですよね。

勝木

理想は双方向なんですよね。輔仁会の中だから匿名ってことはないにしても、要はネットで発信するなら何でもいいと思ってる輩が増え過ぎて。

前川

Facebookでも削除されるような書き込みはあったりするみたいです。

勝木

オフィシャルなFacebookページじゃないから、管理者がまともなんでなんとかなってる。あれ、オフィシャルでやってたら大変だよ。

広報委員会と『輔仁会だより』。瀬下さんの果たした大きな役割

久保田

さっきちらっと言っていたんだけど、中西印刷さんは鈴木吾郎さんが広報委員長だった時からの関わりで、菱沼さん(註:洋一郎、西高8期)が最初。だからその前まで、俺らが広報委員に入れられてた当時は、印刷屋さんが違ってたのよ。鈴木吾郎さんとは中西の菱沼さんが同期だからってつんで、たぶんそれで頼んだと思うんだな。そこから、事務局の斉藤さん、佐々木紀子さん、江良さんと1、2年だと思うんだけど付き合いを。そして、すぐ営業担当が川西くんに変わってたんだよ、たぶんね。

角本

中西印刷の社長さん(註:弘也、西高8期)もOBですよね。

濱岡

あ、元社長ですね? 同じ8期ですね。

久保田

そういうことがあって頼んだと思う。そこからのずっと付き合いだから、もう20何年も付き合ってるんで、それはそれでうれしいことだけど。で、濱岡くんは川西くんのあと担当になってからだもんな?

濱岡

はい。

久保田

その間、事務局、見てるだろ?

濱岡

見てます。はい。

久保田

大変なところを。

濱岡

でも僕が関わってくるのはやっぱり『輔仁会だより』で。制作工程が現在と当時はずいぶん違います。編集会議を週2回ぐらいを4週とか5週とかかけて……。

久保田

そうだ、やってきてたな。中西印刷を呼んで。

濱岡

6時ぐらいからだいたい8時ぐらいまで。

久保田

やってたよな。

濱岡

みんなで、やっぱり同じように食べながら、原稿読み合わせしたりとか。で、担当者が変わるたびに編集方針が変わるんですが、元道新の矢島さん(註:収、西高19期)のころに、こんなに回数をやらないである程度原稿が集まった時に渡して、校正が来た時にまたみんなでしようってすごく簡略化されましたね。『百年の物語』を書いた矢島さん。

上野

あれは素晴らしいね。

濱岡

本当ですね。

上野

読みやすくてね。

久保田

いや、矢島くんの話でなくて、中西印刷が斉藤さんとやって、事務局を見てたという話。確かにしょっちゅう会議やってて、もうやめようよってみんなから上がってきて、それでやめたんだけど。原稿が集まって読み合わせする時だけでいいだろうってことで減ったよな。

濱岡 減りましたね。それと、一番安心できたのは、瀬下さんが本来いない日でもよく出てらしてたので、何かあって輔仁会館に来れば全て解決っていう感じでしたね。

久保田

ここを自分ちだと思ってたんだもん。

角本

瀬下さんの存在は大きかったですよね。

濱岡

いやぁ、すごく大きかったですね。

勝木

名簿についてもそうだし、極めつけに大きかったと思う。

濱岡

あと、やっぱり『輔仁会だより』でいえば文字組。やっぱり編集方針が変わると、瀬下さんがこだわってた美しい文字組がちょっと変わってっちゃうんですよね。詰めたり、文字をぎゅうぎゅうに入れたりとか。ただやっぱりそこは瀬下さんが一番こだわった部分なので、悪いほうに行ったのも時間かけてまた直して。

角本

気をつけます。

(一同笑)

濱岡 あ、いえいえ。やっぱりベタが一行に何文字っていうのを崩さないのが瀬下さんなので……
久保田 まあ、あいつにはあいつのこだわりがあったからさ。

把握している同窓の情報をもとに、同窓同士をつなぐのも事務局の役目

角本

これからの事務局、徳井くんなんかは将来どうなっていくと考えている?

徳井

広報に携わせてもらってから、紙ベースとデジタルベースのことをずっといわれてます。広がりを持たせるための広報ではありますが、広い意味の総務であったりとか、DXであったりとか、多角形になってくるのが正常進化なんだな、と。事務局が果たすのはオリジナルが名簿整理とのことでしたが、卒業生の管理というか、どなたがどこにいらっしゃるかが把握できていれば、手段は郵便からメールに代わるかもしれないし。そういった情報管理が事務局の変わらない役割だと思いますね。

角本

実際ね、事務局って1年に1回だけの業務執行もあるから、3、4年やって覚えたってことが結構あるじゃないですか。前川さんはこの時期にはこれをやる、この時期にはこれをやるってちゃんとやってくれたからよかった。菅野さんはどう?見てて? 最近、当番期から自分で関わってきて。

菅野

当番期で関わった時はもう、とにかくここに来たらなんとかなるって。前川さんがいるから。前川さんがいる時に来たらなんとかなるって思い込んで来てるんで。で、「これはどうしたら?」ったら「そうしたらこの人に聞いてね」「ここに聞いといてあげるわ」と、全部前川さんのとこからバーって光線が出てるイメージでしたね。

角本

確かにね。

菅野

どこに何を聞いたらわかる、みたいな。当番期の立場からしたら、ダイレクトにはわからなくても、次につなげてもらえるとかそういうのがあるとやっぱり全然違う。

角本

それは事務局の一番大事な役目だよね。名簿管理も確かにそうだけどね。同窓をつなげるってことだよね。おかじーなんかどう? 生き字引のおかじーとして。おかじーも時間のある時は結構ここにいるもんね?

岡島

最近そうでもないですかね。話、戻ります。中西印刷さんが『輔仁会だより』の印刷を始めたのは32号からですね。平成9年3月。

角本

そんなに古くはないよね。

岡島

その時のトップ記事のタイトルが「輔仁会館、堂々完成」。

(一同感嘆の「おおぉ」)

角本

80周年。

勝木

95年。

角本

いまの世代の人たちってあまり本郷新(※1)とか佐藤忠良(※2)とかのことはわかってないんでしょう? 僕らもそんなに興味ない層だったけど。
 

※1 本郷新(ほんごうしん)彫刻家、1919年旧制札幌第二中学校に入学。
※2 佐藤忠良(さとうちゅうりょう)彫刻家、1925年旧制札幌第二中学校に入学。(二中14期)

校舎前庭の彫像「蒼穹(そうきゅう)」
母校創立60周年記念に輔仁会が寄贈

上野

僕らは一緒に飲んだからね。

 (一同驚嘆の「ほおぉ」)

久保田

そうだ。

上野

良さんと宮の森のガーデンって、いまはなくなっちゃったけどジンギスカンのお店で、輔仁会館落成記念行事の佐藤忠良展が終わって忠良さんを囲んでね。忠良さんはちゃんと酒を継ぎに来てくれたんですよ。

(一同驚嘆の「へえぇぇ」)

角本

同じ世代っていうか、同じ……

上野

いやいや! 世代は明らかに違う。

(一同笑)

角本

恥ずかしい話だけど、当番期まで全くわかんなくて、関わってもここまでわかってないです。

前川

江良さんが受付やって。

久保田

そうそう。

角本

岡島くんとか前川さんとかが一番よく知ってるね。

上野

そういう歴史は一応残ってるんだね。

勝木

だから、時間ある時にそういうのをちらっちらってさ、取り出してみれば……。

前川

笠間会長はもう『札幌二中物語』も読み込んでいらっしゃいます。事務局員のおふたりも。

事務局の稼働日は月曜・木曜に。無理のない運営で担い手の負担軽減

角本

事務局に入ったきっかけって……

横山

いま会長の笠間くんと総務委員長の戸巻さんにロイヤルホストに呼ばれて(笑)、「ぜひやってください」とお願いされました。で、現在に至ります。事務局での役割的には、基本パソコン入力とかデータ化みたいなのがメインになってくるのかなっていう感じ。もともと現職というか、そういうパソコン周りのことをやっていたので、割と入力したりするのは好きというか、得意で。

久保田

いい人が来たね~。いい人、呼んだな~。

前川

財務の副委員長にもなってくださって……

横山

あ、そうですね。

前川

ですから、事務局の会計とか、会費の入力とか、パソコン関係は横山さんです。その他、『輔仁会だより』とかのいろんな対応を清水さんというふうに役割分担していただいています。

角本

清水さんは火曜日か?

清水

月曜日、木曜日です。

久保田

いまは月・木になったんだな。これ見て初めてわかったよ。

勝木

危ないところでしたね。

久保田

おお、危なかった。水曜日、前川くんがいるんなら行くぞって言おうと思って、で、月・木なんだ、これ。

角本

で、本人いませんから。

前川

もういませんので、はい。

久保田

あ、いないのか。

前川

(2023年)6月いっぱい一緒にやってたんですけど、7月からはおふたり自立していただいて。

久保田

やっぱり古い人間になってきた、俺も。

上野

でしょ。俺はもうちゃんとわかってる。

前川

本当にリアルタイムで、戸巻さんと4人でLINE組んで、「いま、こんな電話があったんですけど」ってパッと返してもらったり。

角本

時代だね~。

前川

私は買い物しながら。LINEに入れてくれたら、すぐ返信できて、便利になるね~。

角本

なるね~。そういうことだったか。

事務局や役員会などではLINEで情報共有。進む先は維持会費を集める基盤作り

前川

事務局に聞けば誰かが聞いてくれるとかっていう話では、最近、徳井さんもですけど、役員会のほうではLINEグループを使ってますね。そうすると、そこのLINEに誰かがこれはこうでって入れると、みんなが自然に見て、じゃあこれはこうしてあしてっていうようなことになって話が早いです。ですから、事務局を通してだけじゃなくて、役員会の中でも一斉に情報を共有できているかと。

勝木

1年12カ月の間にも役員会が何回もあった。平日の昼間にホテルとか行って飯食いながらっていうのはずいぶんやってた。それがLINEでできると。これからはそんな必要ないもんね。

久保田

上ちゃんが言うように執行部として総合的に全体をどういう組織とするか。

角本

分散するのはどうとでもできるんだけど、誰かまとめるとこがないとバラバラになっちゃう。

前川

事務局がいろいろなことを聞いてきた当番期を組織につなげるっていうのがあったんですけど、いま執行部がグループLINEを作ってて、そこに投稿すると役員全員に伝わって情報共有ができるっていう。それもリアルタイムで。

角本

なるほどね。

前川

これは誰々、これは誰々、じゃあこれは私がっていうようなことが。で、いま、どこで誰が、仕事にどういうふうに関わってるっていうのが、執行部全員がリアルタイムで見れるようになっているということです。

角本

いずれにしてもね、なんかどんどん進化してるし変わってきてるので、それはそれで全然問題ないと思うんで。ただ年寄りを置いてけぼりにしないでほしいなっていうだけでね。

徳井

おっしゃる通りですね。だから軸はぶらさず、いろんな世代の方がいることを忘れないで、利便性だけに頼らずに。ただ、「人のエネルギー」と上野さんがおっしゃってましたけども、一個人のエネルギーに頼らないで、依存しないで、この事務局が健全に運営されていく、無理がかからないようにというのが理想なんじゃないかなと思いますね。

角本

基本的にやっぱり維持会費を集めることが大事なので。それは絶えず人海でまとめるっていうことですね。同期が来たら必ず会費払ってるかって聞いちゃうし。

久保田

だから、さっき名簿名簿って言ったのは、渡部さんもそういう基本的なところで、まず名簿ありきだろう、そこから会費をどうやって徴収できるかってとこがベースなんだよな。だから、名簿を作ればいいっていうんじゃなくて、名簿ありきで次の展開。それで広報作ったり、総務を作ったり、いろんな組織作ってるからさ。そういうことなんだよな、ベースは。

角本

まずお金がないことに何もできないってところにあるんだよね。

上野元会長の気がかりは事務局の位置付け、サイトの登録数、維持会費の伸び

上野

いや、なんで俺が喋らないんだろう。

角本

まとめてください(笑)。

上野

まとめる気はないんだけど。たぶん、僕の時代から、広報と事務局と執行部はある部分で一体なんだけれども、僕の時は事務局は執行部でなかったんだよな。いま話聞いたら、そういうLINEだとかいろんなことで情報交換してるっていうのは問題ないと思うんだけど、そこら辺がちょっと気になってたっていうこと。

 

もうひとつは、広報に関していうと、俺も1週間に1回ぐらいは一応ホームページ見るんだけど登録者数が変わんないんだよな。で、会費の納入のところも数字がほとんど変わってかない。やっぱりそこは、いませっかく当番期で最低でも100人くらい集まって、会費を納めるかは別としても100人ぐらいは登録させたいな。俺らが登録するったら大変だけども、いまの若い世代はそんなにね……。ということは、いかに広報っていうか、アプローチのところにもうちょっと積極性とか、なんか手段とかっていうのが足りないのではないのかって。開設してもう1年ぐらい経つよね? 前に維持会費のことで「当番期にノルマを」っていう話もあったんだけども、あれと連動させるってのもひとつの考え方かなと。

 

それと、終身がいいかどうかはわかんないけれど、そういう予算の組み方を考えた。例えば、前は俺の時に、卒業生から1万円徴収するかっていう話をして、一応320人卒業なのでそれを永久会員として、年間必ず320万集まると。だけど、その徴収を学校がやらないとならんということになると、それはなかなか難しい。で、輔仁会が窓口になると強制できないと。まあ、こういう問題がちょっとあって、立ち消えになっちゃったんだけれども。まあ、徴収のあり方も含めてね、僕らの時にちょっとできなかった課題について、いまの登録者数と維持会費の動きを見てると、やっぱりちょっと若い世代の伸び率がやっぱり弱いのはもう明らかなので、ちょっとそこに広報としてのどういうアプローチがあるのかとか、執行部としてどういうアプローチがいいのかというようなことは検討するのがいい。

輔仁会はそもそも卒業生のための同窓会。在校生向けは役割分担できるといいのかも

上野

で、最後に、事務局とかそういうことに全く関係なく、輔仁会の位置付けということを。輔仁会ってまず何かというと、やっぱり同窓会なわけですよね。同窓会っていうことは、西高を卒業した人たちが集まって何かをやるということなので、ベーシックにはやっぱり西高の在校生に向かうことと、同窓生に向かうアプローチとを、もうちょっとウエイト考えたらいいんじゃないか、ということがある。

 

なぜそう思うかというと、西高のOBの中に、西高会と西高振興会があるわけです。で、お金とかモノについては西高会と振興会がやっていて、在校生に向かうことは実はかなり大きなことをやってるわけ。そこに、輔仁会が在校生のためだけにという方向は今後もうちょっと考えるべきではないかな。もうちょっと同窓会という母体を大きくするために何をすべきかということのアプローチを。だから、いま輔仁会がやっている、在校生のいろいろな研修、インターシップみたいな、ああいうのは非常にいいと思うけれども、夢と希望というのはもうちょっと西高会や振興会と連動するようにして、輔仁会がベーシックになることはもうちょっとウエイト考えたほうが僕はいいような気がする。

 

今回は笠間くんの100周年の思いも兼ねてやることは構わないと思うけれど、どうもフォーカスが違うような気がする。一応輔仁会役員の元OBとして今後の懸念というか、活動の方向性として検討してもらえればいいかなと。そのために俺、実は西高会とか振興会にいろんな働きかけをして、いまなんか西高会と振興会が手を組むような動きがあるということ(※3)。で、そうすると輔仁会と西高会絡みのところとの役割分担をやってもらうと、もっと動きが良くなるのかなと。これ、実は今日、だいぶ前からそういうことを考えてなかなか発言する機会がなかったので、勘違いでまたグリグリ言うとあれなので、こういう機会にちょっと……。

 

※3 座談会後、札幌西高振興会は西高カード創立20周年の節目となる2023年9月31日に解散し、「札幌西高サポーターズカード」事業を一般財団法人札幌西高会に承継しました。今後は、同法人の西高カード事業部が実務を担当します。

角本

上野さん、幹事会で言ったほうがいいよ。

上野

いやいや。まあ、ちょっと、思いとしてね。

角本

思いってことね。別に問題提起じゃなくててね、「思ってるよ」ってひとこと言ってくれたらいいかもしれない。

上野

これもね、勝木と同じでね。西高とか輔仁会のことばっかり考えてるわけではないんだよ。

角本

そうですか?

上野

何かあるとすごい気になっちゃうわけだよ(笑)。

角本編集長の広報したい対象は「社会」。注視されている西高カードなどの事業

角本

上野さんが言ったこともあるけど、僕も広報という立場からすると、西高生以外の人たちへ、世の中に西高があって、輔仁会があって、こんなことやってるよって伝えることで、普段関わってない人たちに「あ、自分が卒業した学校だ」と思ってもらえるってことが大事だなと僕は思うんですよ。西高生に広報するんじゃなく社会に広報する、っていう感じ?

 

そういう意味では東西南北のゴルフ大会の話題もどう返ってくるかというと、「西高ってすごいよね」ってまず来るわけですよ。「組織ってすごいね」って、何かあると関わってくれるんですよね、彼らはね。だから、西高のすごさとか、そういうのを一般の人たちへ伝える。それで、もしかしたら西高に野球の強い奴が来るかもしれないし。そういうことをPRするのが僕、広報の仕事かなと思うんですよ。

上野

だから何よりも道大会に出るくらいの力をつけないとダメですよ。

角本

まあまあ(笑)。

前川

上野会長、この間の東西南北ゴルフ大会の時に南高の役員の方から「西高のOBで海外派遣の支援、それから奨学金をやっているって聞いたんですけども」って、「OBから南高もそのくらいやらなくちゃダメじゃないかって言われてるんですけど、どんなふうにやってるか、ちょっと情報を聞かせてください」っていうふうに……

上野

いいじゃないですか。それこそ、別に西高にこだわる意識はないわけですよ。若い世代にどういうチャンスを作ってあげるか、西高がやってることの情報公開はもう全然構わない、俺はどんどんだね。

 

だって、東高の同窓会の人も「西高カードみたいの、東高も作りたいって言ったら断られた」って言うわけですよ。もう、カード会社はそんなものやりませんと。要するに高校では、たぶん、ああいう格好でカードを作ってやってるっていうのは西高しかないわけ。で、その資金を有効に活用してる。で、その資金を今度西高会と組むことで、またいろんな在校生に向かったアプローチや援助につなげる機会になってくる。これはね、西高の特権。最初は自慢話だったけど、西高から出てって南高にもどんどん教えてやればいい。南高って西高よりめちゃくちゃ財力あるんだからさ。

角本

みんな見てますよ、西高の。

上野

だから、そうやって聞いてくるわけじゃない?

前川

皆さん、他の学校の方も、西高の同窓会がやってる事業を見てるっていうことですよね。

角本

見てますよ。

上野

だから、そういう意味でも在校生だけにターゲットを置かないで。在校生に向かってやってることは西高会とか振興会とかがお金をずいぶん出してるわけですよ。もちろんPTA後援会も。だけど、輔仁会、同窓会の活動っていうのはもっとグローバルで……。

 

東西南北のゴルフ大会も然りで、そういうコミュニケーションの場を同窓会として広げていって、その中核になる同窓会の企画が何であるのかとか、どういうことなのかとかということにもうちょっと……。それぞれの高校には人材がいっぱい、宝庫なわけで、オーバーに言えば札幌経済、北海道経済に繋がっている。それぞれの核になるような同窓会。で、在校生は将来関わるわけだけど、現役世代はやっぱりいまを生きてる世代だから、同窓会はそこにも関われるような方向性っていうのを持ったらいいんじゃないかっていう。

 

ま、長くなりますので、一応私の頭の中でイメージしてることをお話ししました。

札幌西高の同窓会=輔仁会をもっとPR。財務も広報もさまざまなアプローチを

角本

僕が意識してるのは、「輔仁会」ってまだ大部分の人がわかってなくて、札幌西高同窓会輔仁会って言わないと伝わらないってことですね。輔仁会って僕も本当に関わるまでわからなかったですから。

上野

「輔仁会」ってだけだと、同窓会なんだか、何かの親睦団体なのかだけれども、そこは広報の在り方だし。

 

笠間くんが100周年の時に300万だか支援して山岳部が山に登り、そのOBが集まってひとつのグループを作ったという。やっぱり芽を作ってることは事実。そういうアプローチをどんどんしていくことで、会員を増やしていくとか、会費を払うとかして、その恩恵を受けた生徒たちが在校生にフィードバックしていく、そういう循環をどうやって作っていくかっていうのも大事だと思う。

角本

いろいろな媒体もうまく利用して、まず西高輔仁会っていうのをPRしないと。今度案内が行った時に「ああ、あれね」って思ってくれるってことが大事なんだろうなって、広報としては。『輔仁会だより』にしてもなんにしても。

勝木

それは外に向かってってこと?

角本

そうです、そうです。

上野

まあ、それも大事なんだと思うよ。ただ……

久保田

さっき上ちゃんがちょろっと言ってたけどさ、輔仁会としてお金が潤沢ではないわけだよ。ここをどうするか、未来ビジョンはどうなってる? 何にも言ってこないけど。

勝木

財源のことですけど、僕、財務委員長の時に当番の、いわゆる総会・懇親会をやっているお金を自由に使わないように管理していくって、徐々にやってきたじゃないですか。今回から輔仁会の一部に完全に取り込むことになったって聞いてますから、そういう意味では本体とほぼ同じ予算で動いてるんで、財源確保についてはひとつ大きな口を作ったなっていうふうには聞いてます。

上野

だから、さっき言ったように、グローバル化してるからいろんな世界に飛び出すっていうのは大事なんだけど、まずは同窓会としての位置づけを明確にしてかないとで。その結果どういう発信の仕方をするかっていうのはまた別に考えるべきこと。まずは同窓会としての骨子っていうか、笠間くんが示した方向を具現化するためにどういうアプローチをしていくのか。で、いまひとつの懸念は他の支援団体との関係で、もうちょっと役割に対してお互いに議論すべきことが今後あるのではないかっていう……

久保田

そのお話はわかるんですけど、今日は事務局なんですよ。それは幹事会で執行部に対してそれを話したほうがいいわけだよ。だから、今日はここまで。

角本

ということで、何かいろいろと盛り上がってきましたけど、広報の役割としてはそういったことも考えているので、徳井委員長ともいろいろ模索していって、アイデアを具体化してみたいなって。ということでございます、はい。

 

では、今日はここで終わらせてもらいます。ありがとうございました。

(一同「どうもありがとうございました」)